A(前編):
「幸せ」というコトバには、はっきりした定義はなく、
なんとなく本人に取って良いことは、
なんでも幸せと捉えられる場合が多いと思います。
この質問の意図が、「人生で幸せになった状態とは?」
というニュアンスであれば、こんなケースが考えられます。
「人生で幸せになる6つの場合(前編1 〜3 まで)」
1. 「すでに幸せだったんだ」と気づく場合。
例えば、世間一般的な人たちの水準よりも、
自分のお金に余裕ができたら幸せだと思っていた人が、
「違う、かけがえないの友人たちに囲まれていることだ。」
「身内での絆が深まって感謝できた時のことだ。」
「健康で、好きな仕事に存分に打ち込めることだ。」
など、幸せの基準が変化して、これまでとは違うものに、
幸せという価値を見い出した時に、
「なんだ。私は幸せだったのか・・・」
と喜べる場合があります。
ただ、誤解しないで欲しいのは、
人生は、幸せになったらその瞬間に終了、
というわけではないということです。
(ハッピーエンドの映画は終了しますが・・・。)
つまり、幸せを実感したら、
「あ〜幸せになった。もう大丈夫だ。何もしなくてもOK」でなく、
次は「やりがい」とか「お金の余裕」とか「健康」とか、
違うものを目指し始めることの方が、普通の人生というものです。
幸せになったら終了、と思いたい場合もあります。
それは人生がしんどい場合で、何かから逃れるために、がんばっていると、
南の島に住めて終了、お金持ちになって終了、幸せな結婚や家族になって終了、
ということを求める気持ちが強くなります。
その場合は、子供の時の価値観を思い出すと良いと思います。
子供は無邪気に、次々に面白いことを見つけて探究していきます。終わりがありません。
大人になると、自分に限界をつくってしまい、狭い世界に自分を閉じ込めてしまうのです。
実際には、もっと広い楽で可能性に満ちた世界が存在することでしょう。
2. 幸せとはこういうことか、と理解する場合。
自分は今まで幸せになりたいと言いながら、
「安全」になりたいだけだった。というような感じで、
別のコトバの意味を「幸せ」ということだと思い込んでいる場合です。
危険から逃れて安全な場所に来れた。
「あ〜良かった。幸せ。もう大丈夫」と言う感じで使われます。
このことに気付き、
幸せには、もっと違う楽しさ、嬉しさ、喜びなどがあるんだ!
と理解したときがこのケースです。
3. たくさんの人とつながれた場合。
例えば、自分の活躍が多くの人に認められて、
今まで会えなかったような種類の人や、
考えられないくらいたくさんの自分のファンができたりなど、
友人が一気に増えたような感覚になる場合です。
通常の場合人は、初対面の人に会うのは
緊張すると思ってるものだと思いますが、
この幸せになった人は、この人も実は私のファンなのではないか?
と前向きに捉えてしまう所から始まり、
「人に会う=未知の自分のファンに会える」
そんな状態になることを意味します。
後編(④〜⑥)に続きます。